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奥美濃訪問Ⅰ・白い箱根 - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:07:05

奥美濃の白川郷、郡上八幡を車で旅した寸描である。
逗子発・箱根越え・沼津より新東名を経て犬山泊、二日目に東海北陸縦貫道を通り奥美濃へ・犬山泊、三日目に中央道を通り帰途の旅程である。
箱根は、前日の雪で全山雪化粧、白い幻想の世界を見せてくれた。

奥美濃訪問Ⅱ・犬山と古墳 - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:13:20

犬山はお城で有名だが、ここは濃尾平野を見渡せる要地であり、古墳時代から開けていたようで3世紀末頃作られたという東之宮古墳(史跡)が、白山平山(標高143m)の頂上にある。この地を最初に治めた王の墓という。作られたのは3世紀末から4世紀にかけての頃で、歴史物語では日本武尊や神功皇后が名を刻んだ時代だ。
山の頂上を削り前方後方墳が築かれており、東日本に所在する前期古墳時代を代表する古墳といわれる。出土品はすべて国の重要文化財として、京都国立博物館に展示されているそうだ。

奥美濃訪問Ⅲ・白川郷1 - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:17:53

白川郷は雪のなかであった。庄川沿いの山間に合掌造りの家が点在する嘗ての秘境は、異郷の観光客であふれている。高速道路が通って容易く訪れることが出来るようになったからだろう。
バスの駐車場から白川郷の観光の中心へは庄川にかかったつり橋を渡る。

奥美濃訪問Ⅳ・白川郷2 - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:21:28

和田家の合掌造りは国の重要文化財に指定されている。今でも住居として使用されているが、一部は公開されている。和田家は天正元年(1573)から続く家柄で、地域の庄屋や役人を務めたという。
今の家は江戸末期のものとされる。

奥美濃訪問Ⅴ - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:24:51

白川郷から一般道を庄川上流に作られた御母衣ダム沿いに南下すれば、やがて分水嶺を越えて長良川の源流近くに至る。更に長良川沿いに下ればやがて郡上八幡に至る。
郡上八幡は長良川および支流の吉田川沿いに作られた、盆踊りで有名な街だ。町中で踊るのだろうか、通りは踊り易いように作られている感じだ。
山の頂上には郡上八幡城がある(写真の山の上に見える)。

奥美濃訪問Ⅵ - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:27:23

郡上八幡城は戦国時代に当地を治めていた遠藤氏が築城した。明治維新の際に取り壊されたが、昭和8年に当時の市長が街を元気づける目玉として、大垣城を模して再建したものという。
かの内助の功で有名な山内一豊の妻千代は、初代城主・遠藤盛数の息女といわれる。
険阻な山上に作られており難攻不落を誇ったことだろう。

奥美濃訪問Ⅶ・中央道からの富士 - 鵜雪

2024/02/27 (Tue) 18:30:10

帰途は中央道、好天に恵まれて富士山を遠望することができた。場所は韮崎付近。
行程;2月24日逗子発・箱根新道から沼津インターで新名神を通り犬山へ、犬山城・神の山古墳他を訪問、犬山泊。第2日犬山発・東海北陸縦貫道を通り白川郷へ、一般道で御母衣ダム経由ひるがの高原を経て郡上市へ、郡上市より高速道及び一般道で犬山へ、犬山泊。第3日(2月26日)は中央高速道、八王子より圏央道を経て逗子へ。

震災対策技術展24から - 鵜雪

2024/02/12 (Mon) 11:02:42

毎年開催されるこの展示会は今年で第28回、出展されている技術は年毎に変わってきていることだろう。一方で新しく開発された技術がすぐに普及するわけでもない。それなりの助走期間が必要だ。
昨年初めて出展された、漆喰という古い素材を活用してアンチウイルスに貢献しようという塗料会社の製品群はどうなったか。(参照;23/02/02:温故知新、漆喰、震災対策技術展から)
今年も継続して出展しており、担当者に状況を聞いてみると、“ぼちぼち”だという。災害に備えるといった製品で、この製品群のように「効果を見える化」するのが難しい製品は特に急速な普及は困難だろう。少しずつの実績の積み重ねが財産となる。粘り強い努力を期待したい。
2月8日、パシフィコ横浜・展示会場で。

稱名寺と金沢文庫Ⅰ・浄土式庭園 - 鵜雪

2024/02/12 (Mon) 09:36:58

NHKで放映されている「ブラタモリ」なる番組に鎌倉が登場した。その中で横浜・金沢区にある稱名寺と金沢文庫の由緒ある歴史が紹介された。それに触発されて早速探訪に出かけた。
稱名寺は北条義時の孫にあたる北条實時の創建、真言律宗の別格本山である。
元応2年(1320)に作られた浄土式庭園は、残されていた古図などを基に昭和62年(1987)に復元された。

稱名寺と金沢文庫Ⅱ・赤門 - 鵜雪

2024/02/12 (Mon) 09:39:27

嘗ては赤門を入り仁王門に至る参道の両側に茶店が並んでいたが、今は両側は民家に代わってしまった。
赤門の奥に見えるのが仁王門。中の写真は仁王門。

稱名寺と金沢文庫Ⅲ・眺望 - 鵜雪

2024/02/12 (Mon) 09:43:48

この地は周囲を小高い山に囲まれ城郭の形を成し東京湾に面した北条氏の要地で、中国との交易の港でもあった。裏山に登れば東京湾が一望できる。三角屋根のある場所は八景園(遊園地)、クレーンは住友重工、房総半島が遠望できる。尾根に近い山腹には北条實時の墓がある。

稱名寺と金沢文庫Ⅳ・金沢文庫 - 鵜雪

2024/02/12 (Mon) 09:46:40

稱名寺から短いトンネルを通ると金沢文庫がある。文化に造詣の深い北条實時が創設した。北条氏滅亡後、蔵書を稱名寺が引き継いだが、貴重な典籍類の多くが散逸したという。散逸した典籍には金沢文庫本という印が押されており、国立公文書館ほかの書庫に収められている。
金沢文庫のあとには、神奈川県立歴史博物館があり、図書館もあるので中世を勉強するには大変相応しい場所となっている。2月11日、シーサイドライン海の公園南口駅下車・称名寺・金沢文庫・京急金沢文庫駅。歩約11000。

レタスと初雪 - 鵜雪

2024/02/07 (Wed) 10:32:07

立春の翌日2月5日は雪の1日となった。前日来の南岸低気圧が雪を降らせたのだ。都内も積雪があり、高速道は通行止めとなり、雪に慣れてない都民の間で転倒などの事故で百数十人が救急搬送されたという。
鵜雪農園も一面の銀世界に変わった。収穫期が近づいたレタスも雪に埋もれたが、所詮は春の淡雪、二日後には元気な姿を見せてくれた。

光則寺立春24Ⅰ・六地蔵 - 鵜雪

2024/02/05 (Mon) 09:08:03

2月4日は立春、春の始まりは、厚い雲に覆われた寒い一日となった。列島の南を低気圧が通り過ぎようとしているからだ。午前中降り続いた雨は午後には止んでくれた。
光則寺は、鎌倉・長谷に所在、四季に咲く花の寺として有名だ。隣接する長谷寺や近くの鎌倉大仏の賑わいとは異なり、人影の少ないこじんまりとした静かなお寺だ。
文永11年(1274)、日朗を開山として創建された日蓮ゆかりの寺で、樹齢200年といわれる海棠は特に有名だ。(参照;光則寺の春23・23/03/19)
光則寺は、鎌倉駅から大町商店街、由比ガ浜大通りを経ていく。由比ガ浜大通りには、六地蔵が鎮座しているので紹介しておこう。近くにあった刑場で処刑された罪人を供養するために建てられたという。

光則寺立春24Ⅱ・白梅 - 鵜雪

2024/02/05 (Mon) 09:10:36

今、光則寺には白梅・紅梅・蝋梅・侘助などが咲いている。
老木の白梅が満開だ。

光則寺立春24Ⅲ - 鵜雪

2024/02/05 (Mon) 09:12:41

満開の蝋梅、かなりの高木だ。

光則寺立春24Ⅳ・土牢 - 鵜雪

2024/02/05 (Mon) 09:15:38

裏手の山には、日朗が幽閉されていたという土牢が残されている。執権北条時頼により日蓮が佐渡へ流刑された際に、弟子の日朗も同時に捕らえられてここに閉じ込められたという。

光則寺立春24Ⅴ・長谷寺の紅梅 - 鵜雪

2024/02/05 (Mon) 09:18:09

隣接する長谷寺は観光の寺、境内に咲くきれいな紅梅を瞥見することができる。
鎌倉駅・由比ガ浜大通り・光則寺・同じルートで鎌倉駅、歩約13000。


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